和田アキ子のソウルを熱望する

どうして今だにソウルやブルースの世界にどっぷり入っていないのか不思議なのが和田アキ子。m-floとのコラボでやっと私の聞きたい和田アキ子が聞けたと思ったが、それでも今ひとつ歌につやが感じられなかったのは、本人の吹っ切れない思いが声に出ていたのだろうかとも思う。

自身の変化と従来のファンとの狭間で苦しむのは、アーティストにはよくあることである。U2は「もう僕たちには何も期待しないで欲しい」と言い放ってその後も変化を続け、結果的に長年トップアーティストの地位を維持し続けている。

それとは別にもう一つ、和田自身の変な思い込みというか刷り込みというか、そういう音楽はイコール「不良」みたいな捉え方があって、自身の苦しかった青春時代とリンクしてしまっている部分があるようにも見える。自分の過去の再解釈によって自身を開放しなければならないのは、和田に限らず年を重ねる過程で誰もが乗り越えなければならないことである。

一方でそういった個人的な思いとは別に、ある種の才能は人類の財産とも言えるわけで、例えば交響曲を書かないベートーベン、鍵盤音楽を書かないバッハというようなものは、人類にとって大きな損失である。黒人ルーツ的な音楽を歌わない和田というのもまたそのような損失になってしまうことだろう。

番組の中ではレイ・チャールズやビリー・ホリデイが出てきたが、私自身のイメージで和田と重なるのはウィルソン・ピケットだ。西アフリカでのライブで彼が「Land of 1000 Dances」を歌っていた映像を見てブっとんでしまったのだが、その瞬間すぐに和田アキ子の声を連想した。できれば私はジャパナイズされた湿ったソウルではなく、カラッカラに渇いた灼熱のようなソウルを歌って欲しいと思う。そもそもブルースというものも、とんでもなく悲しいことをカラっと歌う音楽ではなかったかと思うから。

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