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フォトシネマも勝負は素材

続いてフォトシネマの話題。使い始めた当初、これは「失敗写真救済ソフト」だと思っていた。テーマのはっきりしない写真でも、LiFEのエフェクトを通すとそれっぽく仕上げてくれるからである。

しかし、考えてみれば当たり前のことであるが、やはり素材の良さがあってこそフォトシネマも生きる。そう痛感したのは友人のポジスキャン画像でフォトシネマを作った時だった。彼はNZ在住のライター兼カメラマンみたいな人なので、写真そのものが良かったし、また丁寧にスキャンされたポジ画像もその辺のデジカメでは得られない美しさを放っていた。

そういった素材で作られたフォトシネマは、私の拙い腕にかかっても、圧倒的に高品質なフォトシネマに仕上がった。中にはフォトシネマで画質にこだわるなどナンセンスと言う人がいるが、それはとんでもない間違いだ。前回フィルムスキャンによるフォトシネマを薦めたのは、間違いなくそれでデジカメとは違った味が出るからだ。フォトシネマもやはり最後は素材勝負なのである。

それをまた痛感されたのが以下の作品。今のところこれ以上素晴らしいと思えるフォトシネマは見たことがない。

斎賀和彦
「東京写真美術館」
http://homepage.mac.com/saikatyo/photocinema/tokyo2002/index.html

丁寧に作られた人形、丁寧に撮られた写真、丁寧に作られたフォトシネマ、それらが三位一体となって凄まじい質の高さとなっている。

注目したいのは、このフォトシネマがさほど凝ったことをやっていない点だ。エフェクトはLiFEユーザーが見飽きるぐらいよく使われるものだし、曲はソフトにタダで付いてきたものを使っている。にもかかわらず全く見飽きた感じがしないのは、一つには人形という被写体の新鮮さもあるだろうが、それぞれの分担で質の高い仕事がなされているからに違いない。ここではフォトシネマのエフェクトはあくまで「従」であり、「主」ではないのである。それに対して冒頭に述べた「失敗写真救済」という考え方は、エフェクトが「主」で素材が「従」になってしまっていた。そこが間違いだった。

確かにLiFEの画質が悪いのは事実だし、エフェクト勝負になって飽きやすいのも事実なのだが、こうした作品を前にそのような文句を言う気にはなれない。やはり勝負は写真の良さとムービー制作のセンスだ。

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